庭の井戸水、地下水から感じる自然、つくば

「アラビアのロレンス」という古い映画、砂漠にある井戸水を、所有者に無断で飲んだことで問答無用で撃ち殺される場面があった。子供の頃見たにも関わらず、30年程経った今も強く印象に残っているシーン。水を飲んだだけなのに!と。
水の恵みを潤沢に受けているのは、世界においてじつはさほど多くない。水資源量とGDPの比較グラフにより、日本でさえ「一人当たりの水資源量」を計算すると世界の平均以下だという。企業は上手く水をまわして使用しているのと、原材料の多くを輸入しているためらしい。この見えない部分で使われた水を、あたかも末端の自分が使ったかのように計算する考え方もある。

井戸の掘削風景

地面の下の水がそのまま汲み上げられて体に入ることから、井戸があると自然に水に関心が向く。家庭菜園で化成肥料をなるべく使わない、虫を殺す農薬を使わない、油を地面に捨てないなどか。近所の農薬、除草剤にも敏感になり、立ち話をするときにそれとなく話すが通じたためしはない。なるべく多くの世帯が井戸水を使用すれば、水への関心も高まると予想する。しかし需要量と供給量に問題がありそうだ。今や水道の水が当然のように供給されるため、自分で流した水が循環して戻ってくる、という意識は薄い。

…つくば市内、横井戸を使う地域がある。ある会に参加し解説をしていただいた時、その横井戸を持つ敷地の方の、淡々としつつも晴れがましい顔と態度から強く印象に残ったのは、自分の土地に綺麗な水が湧く「誇らしさ」「嬉しさ」だ。 その解説を聴きながら、今はもう、市民の全世帯が綺麗で美味しい自然水を自ら手に入れられない現実を思う。
自分の家も水道のほかに普通の縦井戸の井戸がある。毎年保健所で検査してもらい「適」の結果、もっぱら井戸水を使い、飲料や料理に使う。隣人が林の隅で立って用を足しているのを頻繁に見かけるが、伝統習慣と考え「水、三尺流れれば清し」と昔の言葉を無理矢理思い出す。

※写真は井戸の掘削をしているところ


つくば、茨城のお庭屋 ニハソノ 地域の自然に沿った植栽、造園、外構
樹木医・森林インストラクターの経験と知識からのプランづくり~施工・管理まで