梅を愉しむ …つくばでつくる自然な庭

足もとに霜柱が残り、湿気どころか泥濘にさえなっている地面に、梅が散り始めている。こうなると枝に咲いている花よりも、その湿った黒々とした土の上で、はかなく散った薄い花びらのほうが、季節のうつろいを感じさせ、興趣が尽きない。

梅の花

自宅、庭の梅は、鳥小屋の傍らにあるので、散った花びらから、そのまま顔をあげれば、軍鶏たちが背景だ。ときどき、その軍鶏が我がもの顔で梅の最も目立つ枝に留まり、威勢よく鳴いている。遠慮がちに通る野良猫にまで威嚇するのが図々しい。しかし、その活き活きとした軍鶏と貧相な鳥小屋が梅と重なる風景が好ましいのだ。力比べのように梅の花をひきたて、毎日の物語をつくるように、何倍も梅を愉しませてくれる。

なんであれ、対照的にひきたてるものとあること。そのものがどこに置かれるか、または何と組み合わせて観るかで大きく印象は違う。色彩もそうだ。一色で成り立つ色というのは想像できても、ただそれだけのことだったりする。庭においては、それは違う種の樹木どうしだったり、有機物に対しての無機物だったり、隣の家の壁だったり、畑だったり、生ごみを捨てた、荒れた庭の片隅かも知れぬ。造作物は手間と費用がかかるが、一文もいらない愉しみ方もあることに気づいた。山を歩いていて、思いがけずに美しいものに出会う(気づく)場合は、「思いがけない」油断こそが、美しいものをより引き立たせ、我々に強く意識させることに裏で一役かっている。ということは、ついさっきまでのことは忘れて、始終油断しているということが「コツ」なのである。しかし、これは仙人の域か、場合によっては家人を不安にさせたりすることもある。「おじいちゃん、呆けちゃったわ」と。

※ 梅は万葉の時代に、僧侶や遣唐使などによって持ち帰られたとされています。


つくば、茨城のお庭屋 ニハソノ 地域の自然に沿った植栽、造園、外構
樹木医・森林インストラクターの経験と知識からのプランづくり~施工・管理まで