庭で旬のもの…自然なつくばの庭で愉しむ収穫

庭に植えたフキノトウが春になり、顔を出した。
庭に植えたフキノトウ。春になり、顔を出した。

 庭で摘みとったもので旬を味わえるのは、なんと愉しいことだろう。いちどでも経験すると、そのあまりのキッチンとの近さに、またはその新鮮さに、なによりも自分の敷地内で採れたことに興奮し、次の年が巡るのが待ち遠しいぐらいだ。

 うちの庭では「ふきのとう」が1月の下旬から茶色の枯れ草のなかに顔をだす。庭にあらわれることに気づかなかったときは、随分と遠出をして私有地かどうか不安になりながら採集したものだ。朝御飯の前に、庭で草刈り鎌を手に腰を曲げて地面を探し、乱暴に刈りとりながら手のひらいっぱいのところでキッチンに戻る。ざっと適当に洗うだけだ。自分の庭で採れたものだから、どれほどの汚れかは想像がつく。粗くみじん切りにしたあとは、薬味としてお味噌汁、納豆、豆腐、煮物、果てはパスタにまでのせて、食べてしまう。ほろにがい味は春の味だ。

 家庭菜園をつくり、毎日手入れしながら作物をつくるのもいいものだが、放っておいた庭から、思いがけず現れる収穫もまた嬉しいものだ。自然から収奪しているだけなのだが、いいように解釈すればサーブされたような心持ちにもなる。(勝手過ぎるか)

 畑をつくらなくても収穫したい不精ものにあうのはどんなものだろう。じめっとしたあたりには、タネツケバナが生えてくる。流通しないので、採集する者だけが知る味だ。かすかにピリッとする味は食欲が増すような気もする。ハコベも数種生えてくる。鳥の餌ぐらいしか認識しない人も多かろう。かるく湯に通せば、何のくせもない青菜だ。もちろん丹精こめた畑よりは収量が落ちるが、家族だけで食べるぐらいなら充分。シソも現れる。これはバッタにも食べられるが、そのバッタを獲物にと鳥や小動物もやってくる。夏の終わり、実をこそぎとって、塩漬けにするのも美味しい。イチゴも雑草のかげにのびるが、消失するに任せておいても、数粒ぐらいは口に入る。それがナメクジとの競争になることは、庭で知ったことだ。ミョウガも庭の隅にでてくる。たいていは旬を過ぎてしまうのだが、やせていても新鮮なのでよしとする。ヨモギも雑草としてどんどん生えてくるが、道端のとは違い、自分の庭のものは、きたならしい感じがしない。(道端のはおしっこがかかっていそうだ) 揉むと、そのやわらかい香りがここちよい。梅雨の時期は、梅の実をもばらばらと落ちていたりして、拾って干すのに忙しいぐらいになったりもするのである。
使う庭は、しだいにその人の生活スタイルが時間をかけて投影されるもの。それは僕達のような、他人に任せてできるものではない。


つくば、茨城のお庭屋 ニハソノ 地域の自然に沿った植栽、造園、外構
樹木医・森林インストラクターの経験と知識からのプランづくり~施工・管理まで