自然な庭から … 春をみる… つくば3月

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかいて月を恋い、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。(徒然草 第137段)

笹薮がちかくにあれば、よそより少々早めに鴬の辿々しい囀り。その頃には土埃が舞いそうな庭が、丈の低い緑色で覆われていたりもする。たいていは梅や桜に気が行ってしまい、お出かけの約束で、そわそわと落ちつかない。しかし、都合をつけて実際に訪れても、見物人で行列になっていたり、花を見てるはずが、カレーやうどんの匂いに食欲が刺激され、花見どころではない。もちろん、それが目的だったりすることもある。満開の頃はなおさらだ。会話では「見ごろはいつでしょう」と交わされながらのその日だ。人工的に植えた花園でも、満開のときは夢の中かというような別世界だが、それがどうしたという気が一方にないことはない。目的を確かに敢行する。「花を見た。」
つくば市、春の庭、自然は混沌

習慣になっていると、シフトする機会はそうそう来ない。諸事情で出かけられない時が、よい機会か。
つぼみが膨らみかけた、ぷくぷくとした梅に顔を寄せたらどうだろう。散った花びらが、池の端に吹き寄せ溜まる風景、山の中、そこだけ明るくなるように一本だけで立つ山桜、雨に霞む坂道の途中、三部咲きの梅、掃き出しの窓のした、小さな青い光りの花、楽しげにはねる豆の蔓、くるくるとまわるように立つ紫色の葉、小人が隠れていそうな広めの葉、判子で押したような白い花。
たとえ曇りや雨でも、見ることをきっかけに、それらが別な景色を見せてくれる。(これが春にアブナイ人が増えるところか)
小さくても、たとえコンクリートで囲まれていても、放っておく自然な場所を庭につくると、こんな楽しみを身近で体験することができるかも。必ずしも好ましい植物が育つとは限らないので、気に入らない草は抜いて、少しは手入れのようなことをすればいい。
冬、荒涼とみえる庭からでも、萌える風景をなお思うことで、眼前のそれが途端に変わって見えはじめるのである。


つくば、茨城のお庭屋 ニハソノ 地域の自然に沿った植栽、造園、外構
樹木医・森林インストラクターの経験と知識からのプランづくり~施工・管理まで