つくば市 牛久市 守谷市 にて「自然な庭 外構 エクステリア ガーデニング」を提案する | ニハソノ


お庭徒然

「何にでも効く」という薬

 「美味しい、不味い」という言葉を頻繁にメディアから聞くが、「不味い」という感想はあまりに主観的過ぎないか。そういう味付けなのだろうと考えることにして、料理人に恨み・・

                                    read more 雑文礼賛


周囲との関係

広大な自然にポツンと自邸を建てる。そんな状況では庭が「雑木風」とはいかない。今も文化財として残る名園とされる庭のように隅々まで「造り込まねば」ならぬ。周囲が自然濃い場所では、庭として存在させるためにも結局のところ「人工物で」となる。庭なのか周囲の薮の続きなのかハッキリしないからだ。もちろん浮いてしまっても落ち着かないから、慎重にそこの土地の植生、景観を取り込みながら計画しよう。
ところが状況が180度転換。私達が生活する現代、周囲が人工物ばかりの都市化著しい場所ではどうか。上記の逆となる。

庭のはじまり

つくばのあたりはパッチ状に雑木林も残り、里山風景を彷彿させる田畑も多い。大きく2パターンを軸に考えるが、建物の雰囲気に引きずられたり、住人の忙しさから毎日の手間がかからないというプランに傾き、ついには両方のイイトコ取りともなる。日々の仕事に疑問も積もり「提案する庭はどうあるべきか」という疑問は「庭とはなにか?」と大上段に構えたハテナマークに膨れあがり、勢い先人達の施行を調べることとなる。総重量が自分の体重より重い全集、一般住宅の庭とかけ離れた、寺社・大名・豪商の名庭が殆どとなる「日本庭園史」など紐解く。初めは好奇心に輝く瞳は、巻が進むにつれ、どんよりと曇り、至不可解。「ふかかい」と読めば恰好良いが、「わからず」とすると、身も蓋もない。庭の始まりは何処まで遡る事になるのか。ラテン語など見ると住人の所領とも関係がありそうだ。移住する民には「庭」という概念があるのだろうか。定住を始めた文化からか。とすると農耕の歴史とパラレルになるのだろうか。万葉の歌のままに大陸に場所を移し想像するに、家の前にある、いつも自分が作業する場所ということあたりが起源かも知れないと薄々気づく。そこにお花あふれる「園」の文化が混ざったか。しかしそれではまだストーリーに潤いがないので「園」の起源を捏造しよう。

園のはじまり

約2000年前。ゆるい波が洗う砂浜で、花と少女がかすかにうかぶ古びた石版が現地の漁師の網にかかる。その石版が数百年かけてシルクロード商人の手を次々にわたり、最期に落ち着いた所有者はFar Eastの八条宮智仁親王。酸茎菜をつまみ食いしようとして樽に乗せた石の表面に模様を見つける。その石版を枕に寝た親王はその晩リアルな夢を見る。無垢な少女が居住地から遠く離れた山の中で美しく香ぐわしい花を見つける。その花は絶対に白い百合だ。だって花言葉がそう言ってる。少女は考える。「この花を鑑賞するために、再び山の中まで来るとしても、明日無事に此処まで来ることができる保証はない。持って帰って家の前に植えれば、再び此処まで来ることはない。そして朝から晩まで一日中だってながめられるわ。」果たして少女は、爪の中に土が入るのも構わず、うっすら汗を滲ませながらひたすら手で堀り採り、家の間に植えた。その少女は部族内で「白百合の女」と呼ばれ、婿候補が遠い国からもひっきりなしに訪れた。それを見た周りの女達も次々と山や川に行き、思い思いの花や木を採ってきては植え、年頃になればそこで歌をうたって求婚をするのが習わしとなった。石版が見つかる遥か昔、15000年前の黒海沿岸の光景である。朝になり夢から覚めた親王は直感的に理解した。今までの慣習を踏まえながらも新しい庭を築くプランを持ち、難波の大きな建築屋、竹中組に相談し云々。
このあたりが「園」の起源としよう。とすれば山野草の盗掘もプランに盛り込まねばならぬ。しかしお縄になる危険と、必ずしも生えているとは限らないミズモノである事からここは商業ルートで。等々徒然思いは彼方へとぶ。
 
今年も暑い夏。前シーズンに根回しをして準備したもの、既に根巻きされているのは別として、この夏の時期植物はあまり移植を好まない。無理に植えても根付くのは半分もない。
この時期のお庭の様子はというと、花々が落ち着き、主役が葉っぱに移ったように緑が沸き、そこに梅の実がポトリポトリと落ちはじめているのでは。栗やシイの花も咲きだしており、足下ではドクダミの花も咲き出した。