• 子育ての庭~ 1. 子どもといっしょに作る庭

     敷地の中をまだ整えていないのならば、子どもといっしょに造りだそう、今から庭そのものを。
     子どもがまだいくつであろうと、まずいっしょに設計のお絵描きから。文房具屋さんに行って、できるだけ大きな紙を探そう。A2ぐらいなら何とかリビングに広げられる。A3をつなげてもいい。クレヨンでグイグイ描こう。たっぷり子どもと話しながら、思いついたことを描こう。「現実的に ?」なんて初めは考えない。行き過ぎたら紙を変えて。描けないときは注釈で文章も入れて。作業に入るとき現実に戻ればいいのです。しかしその設計のスペースに含みがあれば、そこはいつまでも子どもの夢が残ってるはず。そんな名称もエリア別につけてしまおう。

     「長い時間考えた末、部分だけしかプランがつくれない」となっても、頑張って全体の姿、方向性は、おおよそ決めておこう。部分だけのプランで、その部分だけをつくり、再び1~2年後に別な部分のプランを考え、追加するようにつくる、を繰り返していくと、敷地内全体の整合性がとれなくなってしまう。予想されるのは、植栽の連続性がなくなってしまうことだ。(じつは大概の庭は、こうなってるぞ)それは美しくないかも。

     いざ作り出すときに、自分たちだけでは施工がよくわからない、または手に負えなそうなら、ニハソノに相談してくれれば、現実的な別なものへ寄せることができるかもしれない。こんな方法あんな方法と、パパママでも施工できそうないくつかの例を示しながらアドバイス。外構と呼ぶ範疇からビオトープや樹木医の知識で、そもそも施工可能かどうか、どんな手順で進めるとラクか、そしてその費用など、全体を考慮しながら、作るためのアドバイスができるかもしれない。(できないときもある)この実行で悩むよりもまずプランで行き詰まったとしても、相談してくれれば提案するよ。

     実際にどのようなプランになるのかわからないけど、楽しい設計からスーッと現実に戻って作り始めるときも、重機が動くような危険なとき以外は、子どもたちは参加すること。小タイトルは「子どもといっしょにつくる庭」。子育てしやすい家は、安全や目の届く範囲とかママの動線がとかwebで読んだかもしれないけど、まだ出来ていない庭には安全もないし、そもそも動線がない。敷地内の自然をなだめたりおだてたり、たまに力で捩じ伏せたりしながら、自分たちのスペースに変えていこう。プロの業者さんがつくるより、ずっとやわらかかい空間がつくられるはず。

    ダブルスコップを使って、穴を掘る。

     「子どもを使ってプロのアドバイスを引き出し、自分たちのお庭をいかに安価に仕上げるか」ではなく、「子どもと造ることで、いっしょに作業する儚くも悦楽の時間を過ごそう」が目標なのだ。「労働する歓び」となると、それはまた少し違って、子育ての庭とは、子どもと関わる時間をつくる庭なのだ。誰かから与えられるハードではなく、自分たちソフト側の内容なの。庭というカタチになるようにアドバイスする役割と、ときに作業のアシストをするのが、ニハソノの立ち位置とするかな。


     まず全体の計画を作り終えて、どこから始めるかさえ、初めて庭作りをするパパママでは悩んでしまうもの。簡単そうなところから手をつけてしまいがちだが、そこは堪えて、設計の絵ができたら、「作業を進行させるプラン」を実際の作業を想像してみると全体の労働量が抑えられるかもしれない。「作業を進行させるプラン」は、どの作業に子どもが入ることができるかを予め想像することだ。材料や発生残土を毎回あちこちに動かすような余計な労働を少なくすることで、心が折れることも少なくなる。子どもといっしょにとは言え、その量は9割がたパパママの作業となるよね。次に子ども用の道具も準備しよう、それはママ用の道具であったりする。
     
     道具を購入する必要もあるが、大きな費用になりそうなのは材料購入の予算だ。(プラン内容にも拠る)自然寄りの庭でも、木材や防腐剤、その基礎、植栽、採石や真砂土など、もともとの敷地内にないものは購入、運搬することになる。購入しようにも、その量がいまひとつつかめないという問題もありそう。実家から運ぶ、元の住んでいた家から運ぶ、は慎重に費用を想像しないと、無駄に高くつくことがあるので気をつけよう。
     など、細かく考えれば考えるほど、広大な「ハテナ」が増えるので、建物や引っ越しが終わったばかりで疲労気味なときは、つくる前に萎えてくる。お庭全部をいっぺんに施工しようとすると、その仕事量の多さを想像するほど、さらに萎えるかも。そんなときは作業を分割しよう。…今年はここまで、来年はこの部分、次はここと、進行を考慮しながら自分ができる範囲に分けていくのだ。(その辺りのことは相談されれば、はじめにアドバイスします。) 途中で終わらないような無理のない計画をつくろう。 


    つくば、茨城のお庭屋 ニハソノ 地元自然を元につくる造園と外構
    樹木医、森林インストラクターが提案する、プラン~施工~管理まで

  • 子育ての庭

    ” 子育ての庭 ” とは  “ 子どもと関わりあう庭 ”

     つくば市 は2023 年1月1日現在で人口増加率が全国で最も多かったらしい。webから市長のコメントも読むことができる。web上を探せば、上記コメント内容の外国人の割合、さらに年齢別の人口もわかるので、自分でグラフを描けば、より一層その比率が見えるだろう。その年齢別のグラフをつくって見ると、15歳から下の年齢がじわじわと増えている。2022年は「子育てしやすい自治体ランキング」でかなりの上位でもあった。

    つくば市の年齢別人口グラフ
2023年10月
つくば市のオープンデータから
グラフ作成
       つくば市の年齢別人口グラフ2023年10月

     web上で「子育てしやすい街」などと読めば、仕事とのバランスも考えながら引っ越してくる家族も一層増えていくのであろう。
    「街が子育てしやすい環境であれば、家はどうでもいいわ。」とはいかない。子育ては他人の目に晒されたくない時間も長い。そもそも「子育てしやすい街」を考えて引っ越してくるとき、家のことを考えないわけはない。子育てしやすい家、庭とはどんな姿か、何が要るのか。
     家については「子育てを頑張るあなたの家に必須なのはこれ!」と、わかりやすく言い切るwebサイトが溢れ「…段差がなくフラットで、思いがけない行動にも安全なつくりで、家の中どこにいても子どもに目が届きやすくて、片付けがラクで…」とおよそサイトにも似たようなことが記されていて、それらはママ目線。パパの存在がないまま文章はすすむ。必要なものがわからないから、何かを手がかりに曖昧な自分の欲しいものの実体を探すのもあるだろう…「そうそう、それがあると子育てには安心、気づかせてくれた、そこ選ぶわ。」「そうか、子育て世代の家はそのように造るべきなのか、そうしよう。」と膝をうつような気づかせ方。もしこのblogのなか、家を庭に置き換えて「庭も同じです!」と文章をすすめても、ハード側の提案は、いまさらの感が拭えない。ここは違う方向で考えてみたい。(啓蒙したいわけじゃないよ)

     庭は、四方どころか、上方からの他人の視界を遮らない限り、道行く人やお隣りさんからどうしようもなく見えてしまう。それゆえ5%ぐらいは公けの場所で、95%(面積のことじゃないよ) ほどは私的な場所のイメージだ。他人の目がどうしても入ってしまうが、その私的な場所で、家の中ではできないことで何ができるであろうか。土を触る、花を愛でる、陽光を浴びる、どれも公園でも可能だけど、自分の家の庭でだけできることを提案したい。

    手作りブランコで庭で遊ぶ
    手作りブランコで庭で遊ぶ

     公園で社会性を身につけることもいいが、庭だからできる子どもといっしょの暮らし、子どもといっしょの活動。ママやパパにだけ見せる安心した顔で遊ぶ、庭に収まる子どもが見えるかしら。陽もうららかなつくば地域(全国的に見ても晴天率高し)の庭で、大人しくしていない生き物、子どもと外で過ごす、短い時間を考えよう。「こんな庭がオススメ、あなたの欲しかった庭のかたちはこれ!」と、出来上がったものを売りつけたりはしません。また、「xxxをすれば、つくば地域に合った知的プログラムを通ることと同じ、賢くなります!」ともかなり違います。結果を求めることからは遠い、「健康なのがイチバンね。ねーーっ」って途中で無理に肯定しそうな、そんなテキトーな時間を考えます。

    次回、-- 子育ての庭 -- 1、子どもといっしょにつくる庭 を記します。

    ….. そもそも途中までの「リガーデンネタ」も全部書き終わってないのに、上手く続くのか不安ですね。


    つくば、茨城のお庭屋 ニハソノ 地元自然を元にプランをつくる造園と外構
    樹木医が提案する、プラン~施工~管理まで

  • 以前の庭から樹木の移動 つくば 自然なお庭

      (  前回の続き  庭のつくりなおし  renovation  )

    3. 以前の庭、実家の庭などからの移植


    引っ越しに際し、以前住んでいた庭で育てた樹木を移動させたいと考える人もいよう。そもそも可能か不可能か、これは状況次第、そのメリットデメリットはさまざま。

    まずメリット。自分が植えたり、記念樹でいただいたものなど、思いがつまっている木は、ほかに代えようがない。未練が残らないのが大きい…その一点かな。それも、ほどほどの大きさならばだけど。

    一方、デメリットは山ほどある。樹木へのストレスと費用が主だ。移植には、困難ばかりということも頭にいれておきたい。その木が実生から育ったものであったり、たとえ苗木ほどの大きさから育てたとしても、長い時間、移動していない木の根は、思いのほか地中深くまで伸びている。樹種によって根の伸び方は違うが、実生から育てたものは、真下に深く根がはいっているものが多い。これをいきなり掘り出すのは、ほぼ不可能と考えたほうがいい。

    移植の風景、根巻きした植栽たち
ニハソノの庭づくり

    その植えてある場所が狭く、重機が届かないようなところであれば、まず無理だ。重機が可能として、もし引っ越しが1~2年後とわかっていれば事前に「根回し」しておく方法がある。秋から冬にかけて地中の根を切り、細かな根が生えるよう促し、移植のストレスに耐える準備をしておくと、新しい土地で育つ可能性が高くなる。しかし、引っ越しの1年前にそんなことができるほど周到なことはほとんどない。急な移植をしても、費用ばかりかさみ、せっかく植えたものが枯れてしまうことも少なからずあるので、業者に断られてしまうことが多いのはそのためだ。

    また、植える場所に、その移植したい木が搬入できるかどうかも考えねばならない。庭に充分なスペースがあっても、そこまでユニック車のクレーンで運搬可能であるかどうかは、敷地の状況を業者の目で確認しないとわからないことも多い。(ラフターと呼ぶ、大型のクレーン車は費用がかさむ) 移植する意味と、移植の費用、その後の育ち具合、別な新しい木を植える場合の費用と、いくつかの条件をハッキリさせ、じっくり考えたあとで、木の移動を依頼するかどうか決めよう。一見、移植した方が、新たな木の購入費用がない分、安上がりかと思ってしまうが、それは、「掘りとり、根まき、運搬」の費用を、なぜか忘れているため。費用だけをみれば、あたらしく木を植えた方が、安価で済むケースがじつは多いのである。


    それでも、思い入れのある樹木は移植を相談してみよう。この文章は、移植を諦めさせることが主旨ではない。木は生きているので、置き去りにするのは、どこか心がいたむ。新しい生活の地に、家族のように時間を共にした木といっしょに移動できるのが理想だ。….でも、やはり、メリットとデメリットを天秤にかけてみよう。

    ※ 写真は、移植の様子

    リガーデンネタ続く。 今後の予定

    3.自然素材を多く
    4.庭土の耕転

    ◇ 2017に既出のものを分割、修正

     



    つくば、茨城のお庭屋 ニハソノ 地域の自然に沿った植栽、造園、外構
    樹木医・森林インストラクターの経験と知識からのプランづくり

  • 庭のつくりなおし 再利用から地面のなかを改善

    H28年度住宅経済関連データのサイト(国土交通省)を見ると、既存住宅取引戸数は、微かに増えてはいるが、H5年からほとんど横ばい状態であると言っていいようなグラフだった。しかし新築着工数との割合でみれば、H25年度までのグラフは縮小しているが、おそらく今後は増える一方である。(新築が減少していくのだから当たり前か) 既存住宅を購入すれば、建物をリノベーションする場合もあるだろうし、そのまま敷地内(庭)をつくり直したくもなるのが流れかもしれない。

    「リガーデン」ということばを聞くが「リフォーム」同様の造語、和製英語だ。renovation のほうがしっくりくるような気もするが、人によるのだろう。その「庭のつくりなおし」「庭の修繕」をする場合、拙い経験から、無駄なく、後悔しない提案をしてみたい。

     1. 再利用できるものはなるべく使う、瓦礫さえも材料だ

    エクステリアと呼ぶ製品たちは、設置したその日から劣化が始まってしまう。これは工業製品たる宿命のようなものなので、非難や批判するわけではない。外で野ざらしになっているものに、経年変化はどうしようもない。前の施主がつくったもので、時間のおかげで著しく見栄えが落ちているものは、撤去・交換するしかないが、処分するのは金属物だけにしておこう。その金属製品も、アルミと鉄材などに分ければ買い取ってもらえる場合もある。石材などは、処分場では引き取ってもらえないことがほとんどだ。馴染みの石材屋などに声をかければ、別な敷地で転用できるかもしれないが、それも時と運次第である。敷地によっては、重機が据えられなくて持ち出すのも不可能な場合がある。
    そこで、再利用を考えよう。木製の造作物、コンクリート、石材などは、施工業者にハンマードリルや重機で手で持てる大きさに壊してもらい、別な用途に使うのである。見えないところ… 地面のなかの改善だ。

    すでに庭にあるものは、積極的に改善材料につかおう。捨てられないからと埋めるだけでは「産業廃棄物処理法」にかかってしまう。(←ここ大事。プラン図、施工途中の写真などは残しておこう。有害物質が染み出すようなものも気をつけて。)

    土壌の改善、横溝を掘り、枝葉を詰める
    横溝、枝葉、コルゲート管使用

    長年のあいだに踏み固められ、建物以上に酷使されたかもしれない庭は、見た目よりも通気性も浸透性も落ちていることが多い。四方がコンクリートで固められているようなところは尚更だ。そのままであれば、新たに植える樹木も草花も家庭菜園も、健全な生育をなさないことがありそうだ。新しくはじめる前に、まず落ち着いて、敷地内の地面の様子を確認してみよう。

    晴れた日に、どれぐらい地面がしまっているかを、移植ゴテで感触を確かめるのもいい。ラクに移植ゴテが地面に入るのか? 跳ね返されるほど固いのか? 石が多いのか? 次に雨の日の状態を見てみよう。(引っ越して来る前に、地面の状態も見ておくのが理想だけど、そこまで気がまわることは稀。) 雨の日に確認することは、どれぐらいの量の水が流れているのか、どの方向へ向かって水が流れているか、敷地内のどこに水たまりができるのか(できないのが理想)、何日ほどで地面が乾くか、などなど。 例え上記の事柄のなかで、不安な箇所がなさそうでも、今後の庭の状態を健全に保つならば、現況よりもっと素早く浸透する地面を目指そう。敷地内の雨水を道路や他所に流さず、できるだけ地面のなかに浸透させよう。 敷地内に浸透させることで、好ましいことは大きく2点。

    (1) 川を汚さない … 水といっしょに地表面の土・有機物が敷地の外まで流れ出し、それがいっきに下水から川に流れ込むことで、水かさが増え、そのうえ川が汚れてしまう。最近は集中豪雨が多いので、必要以上に川に水が集まるのは心配だ。しかしそれを各々の家で、できるだけ地面に浸透させてしまえば、自然災害が起こる割合も減るというものだ。

    (2)敷地内の地面に、新鮮な水・空気がおくりこまれること … 水を浸透させることで、空気や養分もいっしょに地面に入り込み易くなる。樹木の根に酸素が必要なことは、なかなか気づきにくいことかもしれない。街路樹などの植栽基盤の改善にも、同じ考えをもとに施工がなされることが多い。街路樹、公園の樹木などで、樹勢が弱ってくるさまざまな原因のひとつに地面の問題がある。長年の踏圧や、幹の際ギリギリまで舗装する植栽基盤の狭さのために、根が呼吸困難を起こすことだ(呼吸のために葉で取り込んだ酸素を、樹木自身が根まで運ぶことはない)。水はけがよろしくない地面のため、雨後、地中の水がなかなか引かず、根が水に浸かった状態になり、根腐れを起こしてしまうこともある。これも呼吸できないことではいっしょだ。

    では、出てきた瓦礫を再利用して、お庭を改善しよう。費用をかけて処分するより、ゴミに見えたものを一転、敷地内の通気と浸透・排水のための材料に変える。

    改善し、まもなく土のなかで空気と水が動き出すと、目では同じ庭でも、肌で感じる空気感がやわらかい。朝、雨戸を開けた時や、夜にそよそよと入り混む風で、変化を感じるはずだ。森のなかのうっすらとした菌臭のような空気。(菌臭には鎮静作用があるという説もある)土中の微生物が活発になれば、発生する二酸化炭素の量が増えているはずなのに、そのやわらかい気持ちよさは何処からくるのであろうか。 コンクリートや石材は、どんなに壊しても大きな隙間ができるため、地中の浸透改善にはとても役立つ。もし既存の植栽を剪定する必要がある庭だったなら、その切った枝葉も土壌改善に使おう。細く浅い溝を掘って、枝を詰めていくだけでも水が流れやすくなり、地面の通気が変わる。瓦礫のあいだに入れるなら、植物と土をつなぐ菌も、より活発になるだろう。

    みえない地中の環境を整えることは、庭のつくりなおしの基礎のようなところ。ここを疎かにすると、せっかくの素敵な樹木も、数年で枝の先が枯れるところが出たりして、樹形がくずれてきたりするのがつらいところ。だからといって、樹木を植えたあとでは、改善の施工は面倒だ。はじめに庭の状態を見て、よく考えよう。

    ※ 写真は、長年の踏圧で固く締まった地面に横溝を掘り、そのお庭で切った枝葉を詰めたところ

    リガーデンネタ続く。 今後の予定
    2.萌芽更新のすすめ
    3.自然素材を多く
    4.庭土の耕転

    ◇ 2023, 0622 修正


     

    つくば、茨城のお庭屋 ニハソノ 自然を大事にする造園と外構
    樹木医が提案するお庭プラン

  • 虫の音(ね)、自然な庭から

    人のけしきも、夜の火影ぞ、よきはよく、もの言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心憎し。匂いも、物の音(ね)も、ただ夜ぞひときはめでたき。 「徒然草 第191段より抜粋」

    陽が眩しい時に聞く蝉の声など、庭の暗がりから聞こえてくる蟋蟀の声ほど愛しくは感じない。夜に細く窓を開け、外の音を部屋のなかに引き込むと、虫の声が落ち葉の匂いと共に入ってくる。つくばのあたりでポピュラーなのが、エンマコオロギ、ハラオカメコオロギ、ミツカドコオロギ、クサヒバリ、カンタン、カネタタキなどであろうか。早春でも温かい夜には、クビキリギスの声もある。

    庭の藪。草むしりをしなかった部分。混沌。

    庭のどこかに、放っておいた薮をつくったり、枝を強く透かしたりしないエリアを残したり、また、草を刈りとったとしても、その草を粗く積んだままにしておけば、鳴く虫たちの隠れ家にもなる。「…きれいにしておかないと近所の体裁が..」の義務感から、一本残らず根こそぎむしった地面は、そのときだけは気持ちもスッキリする。シンプルな空間は、シンプル故そこに豊かな意味が見えてくれば素敵だが、裸の地面に終わるだけでは殺風景だ。街じゅうが記号のような空間ばかりなら、整合性がとれて隣を安心させるが、その安心は「含みのある空間」からは、どうしても離れてしまうのかもしれない。

    なにもないほうが、管理も手入れも要らずラクだ。しかし敷地のどこかに陰がある場所、一目で把握しきれない、見えない場所があると、使える面積は狭くなるが、含みがある分、イメージの庭は広くなる。そこは住む人の意識の「外」にある空間である。意識の外ゆえ、そこに何坪などという数字はない。そこはまさに自然と呼んでもいいのでは。雑草と呼んでしまう草が繁り、ちいさな生き物が遊ぶ。

    もしかすると、自然が苦手な人の心の奥には、そのような場所がもつ特徴、「意識できないもの」への不安があるのかもしれない。管理できないものへの ” キモチワルサ ” か。庭は、のっぺりとした日常を少しだけ刺激させるときがある。それは意識の外からくる自然ではないだろうか。

    せっかく手に入れた敷地を、右から左に隅々まで使い倒さないのはもったいない。必ずしも、決まった機能があることが使い倒すことではないだろう。放っておくことが、思いがけない機能を発揮するときもある。小さな生き物の住処になり、心地よくも季節を感じさせる虫の声が聞こえてくるようになるかもしれない。視覚だけはない、聴覚の快感を足元で気づいた途端に、自分の庭がイメージで何倍も広がるのである。そこから、子どもといっしょに図書館などで庭の虫の声を手掛かりに、コオロギやバッタ類を調べれば、その声の主を知ることになる。はじめは意識の外から来た虫の声であったのに、種類を知った後の虫の声は、身近な知り合いに変わるのを感じるだろう。ノイズでしかなかったものが、あれは誰々の声、これは誰々の声と人数(虫の種数 ? )まで聞き分けたりして微笑む子どもの顔はどうだろう。何とも和む一瞬ではないか。

    庭を放ったらかしにしたときでも、その自分のだらしなさを理由づけできる。あたかも自分はその虫の声を愉しむために、あえて草むしりをしなかった、あえて枝を切り落とさなかった、とママに伝えよう。(納得されないか) 度が過ぎると「あなたの薮庭から蚊がやってきてどうにもならん。」と、お隣から苦情を言われるかもしれない。虫の音だの、夜の庭の豊かさだの、窓からはいる夜の風だのという、ささやかな愉悦はとんでしまうか。

    ◇ 2023, 0622 修正



    ニハソノ ビオトープ計画管理士 1級
    生きものがいる庭
    子どもといっしょに探検するお庭、調べるお庭